kenjoy_QOLの日記

筆者は元青年海外協力隊、双極性障害治療中のコンサルタントです。日々、QOL向上の為に行っている事や、寛解に向けて行っていることを書いていきます。

人生捨てたもんじゃない!(前編)

妻はフィリピン人。

 

私が妻と出会う前、妻は日本の悪い人たちに騙され、犯罪に巻き込まれ

本人は意図せず、日本で働いておりました。

後に警察に逮捕され、入国管理局へ収容されました。

その後、仮放免を受け、収容を免れましたが悪い人たちに再び働かされておりました。

 

そんな時私はフィリピンでの国際ボランティアを終え、日本に帰国。

IT企業で再び働いているころでした。Facebookで彼女とつながり出会うことに。

彼女との相性は良くすぐに付き合い仲良くなりましたが、彼女が犯罪に巻き込まれていることなど露知らず。入管法なども当時全く理解できていませんでした。

 

2人が仲良くなるにつれ、徐々に何らかの法的問題を抱えていることに私は

気づきました。しかし、自分の社会的立場を危険に晒すことに躊躇いがありました。

彼女も、私を巻き込むことを恐れ、具体的な話をすることはありませんでした。

 

彼女は毎月入管に出頭しており、仮放免延長の手続きをしていることを知ります。

私は何か私が出来ることがないか、一緒についていこうか?と伝えましたが

彼女は、「大丈夫」と、1人でその日も出頭しました。

 

2014年の暑い夏の日でした。

 

私はいつも通り会社に出社したのですが、珍しく電話が。

客先に常駐していた私は、ビルから出て話を。泣きながら電話していました。

入管に捕まった。着替えを持ってきてほしいと。。。

私は何が起きたのかその時はわかりませんでした。

 

その後、ネットで調べた弁護士さんに連絡し事態を説明し、

どうすれば助けられるのか尋ねました。

弁護士さんは、かなりまずい状況まで来ており、助けられるかは難しく

強制退去になる可能性があるが、本当に、本当に助ける覚悟があるのか

私に尋ねてきました。

 

私と彼女の付き合いはまだ半年程度でしたが、私は結婚も視野に入れておりました。

私は彼女が持っていた過去の有罪判決の状況や調書を読み漁りました。

その時初めて彼女の状況が理解できました。

 

非常に難しい状況であることも分かりましたが、私は彼女を助ける覚悟をしました。

弁護士さんと話をし、再び彼女を収容状態から仮放免の状態へ戻すべく申請をしました。仮放免が下りるまで彼女は4カ月間収容されました。私は仕事をつづけながら、何度も10分のみの面会に行き、差し入れをし続け、彼女を支えました。

 

収容中、私たちは結婚を致しました。

それでも収容は解けず、ビザも出ないのです。

 

4か月後彼女の仮放免が下りました。無事に外へ出れたのです。涙が溢れました。

もう手放さないと心に誓いました。その後行政裁判を起こし、彼女の強制退去を無効にしようと2年強闘いました。

 

その間、児童相談所に預けられてしまっていた息子を引き取るべく担当にアプローチを

始めます。社会的に安定した職を持った私が夫とし、彼を養子縁組を行う旨を伝えました。息子と面会ができるのは月に数日程度。息子を引き取るまで8カ月を要しましたが

何とか達成することができ、本当にわが子を返してもらえたような気持になりました。

 

行政裁判で勝つことができなくなったのですが、再審情願という制度で

在留特別許可を頂けるよう嘆願いたしました。

これは、強制退去令書が発布された後の事情を考慮し、法務大臣の自由裁量で

在留を認める制度です。

 

しかし正直、ほぼ認められません。。

 

ただし、再審情願審査中、法的拘束力がないものの、強制退去が執行されることは

運用上ほぼなく、日本へ滞在ができます。その間私たち夫婦の間に実子が出来れば

ビザが発給される可能性は格段に上がるのです。

 

私たちは子作りに励みましたが、これがうまくいきません。

約2年子供が出来ず、この仮放免の状況を打破できずにいました。

そうしているうちに、妻が統合失調症になってしまったのです。

大変重い精神病で、小作りどころではなくなりました。幻覚症状やうつ症状に悩まされ

生活もままならない状況へ。

私は妻を支えながら仕事を続けました。入管への対応も私が行うようになります。

この頃から、仕事、看病、家事、養育、入管対応で私は疲れてしまっておりました。

私の言動がこの頃からおかしくなり、母、兄に病院へ行くよう勧められるのです。

この時、私は双極性障害であったことに気づかされるのです。

私もこの時から治療を開始ししました。

この頃、入管との闘いは4年を過ぎておりました。

 

妻の闘病を支え、息子を養育し、自身の治療と仕事、入管問題にも立ち向かい続け

1年半が過ぎた頃でした。

 

奇跡が起きたのです。

 

再審情願が通り、在留特別許可が下りたのです!(後編へ続く)